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Your search : [ author:写真 鄭鳴] Total 3400 Search Results,Processed in 0.104 second(s)
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1. ときにはふつうの人のように 帰宅が許されるというここは…
なにか雰囲気のちがう家族の写真、子供だけが明るくて。じつはこの奥さんは子供をつれて夫に面会に来たところだ。夫は、受刑者。ここは刑務所内の一室だ。美術工芸品を作る工場で働いていたこの男は、貴重な材料を盗んで、二年前に五年の刑を受けている。ここに送られたときは、結婚二カ月だった。奥さんはショックだったにちがいないが、それに耐えて、やがて生まれてくる子供を育てながら、夫を待つことにした。やはり以前からの
Author: 写真 鄭鳴 Year 1987 Issue 6 PDF HTML
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2. イタリアの国際モデルコンテストトップは北京姑娘(グーニャン)·彭莉さん
中国でも昨今、年齢を問わず服装への関心が高まってきているが、それに伴ってファッションショーも各地で盛んだ。一方、若い女性の憧れの的であるモデルも多数養成され、しかも、そのセンスのよさは日米欧並み。この事を世界に知らしめてくれたのが、花束を抱えて微笑む女の子。八月にイタリアのサレルノ市で開かれた「八八年国際ニューモデル·コンテスト」。二十六カ国からなんと二千人のモデルが参加したビッグコンテストだ。予
Author: 写真 鄭鳴 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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3. 蘇州動物園での“おめでた” 隣あわせで“出産”と“交尾”
江蘇省は蘇州動物園からのビッグなニュースです。昨年の十二月二十九日午後二時すぎ、動物園内のオリで、東北虎(アムールトラ)の赤ちゃんが生まれました。一産三子。三匹の赤ちゃんトラは、母さんトラの哺乳ですくすく育っています。同じ日のほぼ同じ時刻、となりのオリでは、一対の華南虎(チュウゴクトラ)が、めでたく交尾に成功。こちらでも、近く赤ちゃんが誕生しそうなのです。東北虎も華南虎も国家の一級保護動物。自然界
Author: 写真 鄭鳴 Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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4. 孔雀の“化身”ペー族の舞踏家·楊麗萍さん
美しいプロポーション。時にしなやかに時にはげしく舞う「孔雀の踊り」は、見る者をシーサンパンナの“孔雀の里”にいざなう。楊麗萍(ヤン·リーピン)さん。中国民族歌舞の花園に咲いた大輪の花だ。雲南省シーサンパンナ·ダイ族自治州の生まれ。シーサンパンナには、ダイ族を中心に、イ族、ハニ族、ペー族などの少数民族が住む。楊麗萍さんはペー族。ものごころついた時には、もう踊りはじめていたという根っからの踊り好き。1
Author: 写真 鄭鳴 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML